新品のピアノを、名人が完璧に調律する。それでも、その和音は“数学的に純粋”には鳴っていない。バグでも手抜きでもなく、わざとそうしてある。理由は、音の周波数が宇宙の都合でうまく割り切れないからだ。
結論(早見)
1オクターブ上の音は、周波数がきっかり2倍。きれいに響く“完全5度”は3:2(1.5倍)。ところがこの純粋な5度を12回積み上げても、オクターブ7個分にぴったり戻ってこない。わずかにズレる——これをピタゴラスのコンマと呼ぶ。だから現代のピアノは「全部の音を少しずつ均等にずらす」=平均律で妥協し、どの調でも同じように演奏できるようにしている。
純正律 vs 平均律
| 音程 | 純正な比 | 純正(セント) | 平均律(セント) | ズレ |
|---|---|---|---|---|
| オクターブ | 2:1 | 1200 | 1200 | 0 |
| 完全5度 | 3:2 | 702 | 700 | -2¢ |
| 完全4度 | 4:3 | 498 | 500 | +2¢ |
| 長3度 | 5:4 | 386 | 400 | +14¢ |
| 短3度 | 6:5 | 316 | 300 | -16¢ |
平均律では1半音=周波数比 2^(1/12)≒1.0595。これを積み上げるだけなので、どの調も対等にズレる。
なぜ割り切れない? ピタゴラスのコンマ
純粋な5度(3:2)を12回かけると 1.5^12 ≒ 129.75。一方オクターブ7個分は 2^7 = 128。1.4%ほど大きい。つまり「純粋な5度だけで音階を作る」と、12個進んだとき出発点のオクターブに戻れず、約23.5セントあふれる。これがピタゴラスのコンマ。宇宙は、きれいな整数比同士をきっちり閉じてはくれない。
誰が、どんな妥協をした?
歴史上、人はこの“あふれ”をどこかに押し付けてきた。純正律は特定の調だけ完璧に響かせ、他の調を犠牲にする。中全音律は3度を美しく保つ代わり一部の5度が濁る(“ウルフ5度”)。そして平均律は、あふれを12個に均等配分し、どの調も“ほどほどに良い”状態にした。バッハの時代以降に広まり、どんな調にも自由に転調できる現代音楽の土台になった。完璧さを1つ捨てて、自由を全部買った妥協だ。
用語
- セント
- 音程を測る単位。1オクターブ=1200セント、半音=100セント。人は約5〜10セントのズレから違いに気づく。
- 平均律(12-TET)
- 1オクターブを12等分し、各半音を等しい周波数比にした調律。どの調でも均等に少しだけズレる。
- ピタゴラスのコンマ
- 純正5度を12回積んだ音と、オクターブ7個分の音のズレ(約23.5セント)。割り切れなさの正体。